猫と一緒にガジェットライフ♪ムチャ(@mutoj_rdm821)です。
30年前の今日、任天堂からファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売されたそうです。発売日に手に入れたわけではありませんが、このハードのおかげで長きゲーム人生を歩むことになりました。
今回はファミコンに関する思い出をつらつらと綴ってみたいと思います。
ファミコン以前
既にゲームウオッチや、ゲームパソコンM5を持っていて、けっこうやっていました。なのでゲーム人生は既に始まっていたのですが・・・(;´∀`)
それなりの値段はするし、ゲームパソコンは他に持っている人もいなかったので、貸し借りができずに同じゲームをひたすらやり続けるしかありませんでした。
ファミコンとの出会い
これは友達の家でした。初めてやったゲームはなんだったか・・・あまり記憶にないのですが、ロードランナーが面白かった記憶があります。特に自分でステージを作成できる機能で遊びまくった気がします。
毎日のように遊びに行ってやらせてもらっていたので、若干煙たがられてた感はあります(;´∀`)
ファミコンが我が家にやってきた日
14800円と、今考えても安いと思える値段で、ファミコンは既に人気ハードでした。なかなか買えず、父親が買ってきたときもソフト1本と抱き合わせでした。
初めて買ったソフトはロードランナーでした。本体より先に手に入れてました。
抱き合わせで来たのはピンボールでした。これはこれでなかなか遊べるゲームでした。
当時小学3年生だったと思います。学校から帰るとひたすらゲームをしていました。
スーパーマリオが発売
1985年9月13日、スーパーマリオブラザーズが発売になります。実際に手にした時期は覚えていませんが、とにかく遊びまくりました。
酷使されたテレビはだんだん調子が悪くなり、突然画面の色が反転してしまうようになりました。でもそこは昔のテレビです。台の部分を思いっきり叩くと直りました。昔の機械って叩けば直りましたよね・・・。
勇者ムチャの誕生
1986年5月27日に初代ドラゴンクエストが発売されます。これは自分では買わずに、友達の家でプレイしていたと思います。
主人公に名前を付けられました。当時のあだ名は「むっちゃん」だったのですが、4文字しか入らないため、「むちゃ゚」(丸は半濁点でこれも1文字)と付けました。勇者ムチャの誕生の瞬間です。
以後、この名前はいろんなゲームやネット上のハンドル名として使用しています。
高橋名人と16連射
ハドソンの広報でイベントの司会などを担当するうちに、「名人」を名乗るようになりました。高橋名人の誕生です。
必殺技は16連射。その威力は、スイカを真っ二つにするほどです。(実際はゲームキングという映画の中の演出です)
他メーカーも名人を立ち上げて、各種ゲーム番組(当時はいろいろやっていました)でゲームの紹介をするなどしていました。中でも高橋名人と毛利名人は有名で、スターソルジャーというシューティングゲームで対決する映画が作られました。それが「GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦」です。
もはや伝説となったスイカ割りは、ニコニコ動画プレミアム会員200万人突破大感謝祭のプレ背前途として、「高橋名人と一緒に16連射でスイカ割れる権利」という形で復活することになりました。どのように割るのか楽しみです。
ニコニコプレミアム会員「200万人」突破!ニコニコ大感謝祭|ニコニコ動画 |
そして伝説へ・・・
1990年11月21日にスーパーファミコンが発売されると、ファミコンは徐々にソフトが減っていき、眠りにつきました。
そのまま伝説へ・・・と思いきや、Wiiのバーチャルコンソールという形で、公式にプレイできるようになりました。
また、よゐこの有野氏が演じる「有野課長」がレトロゲームをクリアするまでひたすらプレイする番組「ゲームセンターCX」のヒットもあり、レトロゲームは一定の地位を現在でも保っているように思います。
最近になって、ファミコンに関する書籍が2冊発売になりました。どちらも気になっています(超ファミコンの方は入手済み)。
今自分の手元には、稼働するニューファミコンとディスクシステム、50本超のソフトがあります。以前仕事仲間を呼んでゲーム大会をしたら、非常に盛り上がりました。昔のゲームはたまにやると面白いですね。
みなさんのファミコンの思い出はどんなものがあるでしょうか。個々のソフトについての思い出はものすごい量があるので、またの機会に書いてみようかと思います。